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ハイネケンを讃むる

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夏休みを利用してオランダに行ってきました。

オランダと言えば…風車、チューリップ、運河、チーズ、レンブラント、ゴッホ、フェルメール…でしょうか?

満喫してまいりました(チューリップは時期外れのため球根を買ってきただけ)。

旅行をすると街を歩いて名所を巡ったり、名画を観たり、音楽を聴く…ほかに鉄道に乗って移動する、現地のお酒を飲むという楽しみがあります。

鉄道に乗って移動するのは、別に鉄道マニアなわけではありません。遠くに1つだけ見える風車だったり、遊んでいる子供だったり、自転車に乗っている老夫婦だったり、寝転がっている牛だったり…写真に撮るまでもない、撮ることもできない、観光ではわざわざ行くことはない土地の眺め、暮らしの瞬間が窓の外に流れていくのを見ることが好きです。

リアル世界の車窓から、です。

現地の酒をたくさん飲むのは飲んだくれ…を否定できませんが。。。昼から飲むことを合法化する言い訳、というのも否定できませんが。。。

オランダいえばハイネケン・ビールですね。

日本で飲むハイネケンは高いけどふつーのビールという印象でした。でも現地で飲むハイネケンは味も香りも別のビールです。

現地で飲んでいる、という気分のせいか?

いや、絶対に違います。オランダ出国直前と帰国してすぐに飲んでみましたが(おいコラ!)、ぜったいに別物です。

一つ考えられるのは温度です。前にも述べましたが概して日本ではビールを冷やしすぎると思います(喉越しは良いが味と香りが分からなくなる)。

もう一つ考えられるのは日本のハイネケンは国内でライセンス生産されているようです。微妙に味が違うのでしょうか?聞いたらきっと「同じです」と言われそうだけど。。。

うーむ。しばらくハイネケンを飲んでみるか…。。研究熱心だ。

写真1:デルフトの眺望(フェルメールの絵と天気は同じ)
写真2:ハイネケン(毎日飲みました♪)
写真3:キンデルダイクの風車(背後の電線は見ないように)
写真4:アムステルダム市内(ちゃんとした観光もしています)

感覚の醍醐味

魚釣りを趣味としているわけではありません。

ごくたまにヤマメやイワナの釣堀に行くことはあります。目的は食べたいからというだけです。

魚釣りの楽しみとは何でしょう?釣った魚を食べることは楽しみの一つかも知れません。しかし、食べられない魚を釣っている人もいるし、食べることを目的にするなら、わざわざ釣らなくとも網でも仕掛ければ良いでしょう(一本釣りでなくては捕れない魚もいますが)。

多くの魚釣りを趣味とする人、そしてボクが釣堀で網を使わないもの「釣る感覚」を楽しむゆえではないかと。

釣りについて詳しくないので分かりませんが、エサに引っかかっとき、抵抗する魚が暴れるとき…つり竿を通じて伝わる「あの感覚」が楽しみなのではないでしょうか?

話は変わりますがボクが今、乗っている車はマニュアル車です。
しかし、最近の日本の車はほとんど自動変速(いわゆるオートマ)です。オートマのモデルしかない場合も多々あります。

最近ではVolkswagenが採用するDSGのようにギアの変換スピードも、燃費もマニュアルを上回る技術が出てきていたり、自分でギアを変換できるモードがついていたりしますが、やっぱりマニュアル車が好きです。

アクセルやブレーキより重たいクラッチを踏み、徐々に繫ぐ足の感覚、シフトレバーを「ゴリゴリ」って動かす手の感覚。そして「油断するとエンストするぞ」という緊張感が好きなのだと思います。

大げさかもしれませんが、オートマ車とマニュアル車では網で魚を捕るのか?釣って魚を捕るのか?の違いがある…気がします。

よく「札幌などの街中では面倒ではないか?」と聞かれます。

めんどくさいから好きなんです。たまにかったるいことがあるのは事実ですけど。

ま、どう考えてもマイノリティなワケですが…

(でもヨーロッパではほとんどマニュアルなんですよ)

夏休み♪

「今週は3回当直だー!」

「うらー!!」

「労働は楽しいかー!」

「だー!!」

(※「ウラー」は「万歳」、「ダー」は「はい」のロシア語)

ってな当直明けのテンションで、さらに当直を引き受けてしまいました。

来月は夏休みをいただいて友人とオランダに行くことになりました。

卒業旅行の時に「次は40年後かのう…」と言っていた同じ友人と、あっさり1年6ヵ月後に行けるとは。

てなわけで働きます。

シマエビが食べたい1週間

先日、家族と市のはずれまでカレーを食べに行ったときのこと。

北海シマエビがギシギシに詰まった大きな袋を両手に持ったにーちゃんがおりました。

家に戻ったら、父も気になっていたらしくGoogleで「北海シマエビ 店」と検索している姿を見ました。

その2日後の当直の夜。研修医室ではピザパーティーが催されました。ボクは当直だったので合間のほんのわずかだけ参加。後輩が買ってきてくれたシマエビを1匹だけ食べました。

そして昨日の当直の夜のこと。

夜勤の看護師さんたちが「シマエビを食べたい!」と盛り上がっていました。

なんでも隣町の某商店では安くて美味しいシマエビが買えるらしいこと。大きいモノより中くらいのモノの方が美味しいらしいということ。

なんて話しているウチに患者さんが来て話は中断。なんとか落ち着いて外が白み始めた頃に就寝。

3時間後に電話で起こされて、救急外来へ行ってみるとまたシマエビトークをしている看護師さんたちがおりました。

「え゛。ずっとシマエビの話していたんですか~?」

「あはは。まさかー。たまたまですよぉ。」

「…ですよね。」

なんとか無事当直を終えて、昼間は爆睡しとりました。

起きてから、そのシマエビが買える店までの道を調べているところに父が帰宅。

「シマエビ買いに行かない?閉店まで1時間10分あるから。45分あれぱ着く距離だし。」

いつも「めんどくさーい。」とか「いいよ。今日じゃなくても。」という反応を示す父が「ん?今?行くかい?」とすばらしい反応でした。

かくして湖の向こうに沈む美しい夕日を横目に、なんとか閉店前にシマエビ700gを購入。2500円くらいだったかな?

美味しかったです☆シマエビづいていた1週間の締めくくりにふさわしいラストです。

7月、8月はシマエビの季節。札幌でも売ってますが安くて美味しいのはやはりオホーツク地方です。

コンサートに行くワケ…?

7月は音楽祭のシーズンです。札幌では今年20回目を迎えるPacific Music Festivalが開かれています。

今年は20回目の節目の年ということでマーラーの大曲が演奏されます。なかなか実演で接する機会はないので、万難を排して聴きに行っております。

当直のため、日帰りまでしつつ(苦笑)

先日聴いた交響曲第2番「復活」は学会で行ったローマで1度、札幌交響楽団の演奏で2度(2日連続)聴いたことがあります(…機会がないと言う割には聴いておりました)。

さて、そこまでして聴きに行った感想はと言うと…。

奏者の個々の能力は高いのでしょうが、オーケストラとしてあまりに未熟な印象でした。指揮者の曲の進め方も局所的な盛り上げを断片的に繋げた印象で全体としてはかなり歪でした。

我々は絵や書を単に色や線の部分や要素の集合ではなく、無意識のうちに全体性や構造を見ていると思います。

オーケストラも曲も「ゲシュタルト」であると言えましょう。

要するに「ぱっと見の印象」です。これは病理診断にも繋がる…気がします。

そう。だから音楽を聴きに行くのは勉強のためなのです!

…すみません。ウソです。

次はマーラーの交響曲第5番です。ボクは実演では初めて。

若い音楽家達のオーケストラとしての成長を楽しみにしております(なぜか上目線)。

行く川の流れは絶えずして

しかももとの水にあらず。

といった感じです。

かつてその川の水の一部に自分もいたことを嬉しく思い、そして今、その流れの中にいる人達を羨ましくも感じました。

今回は川の岸に立ちそのことを確認しました。

しかし、思い出すことはできても、「全く同じ気持ち」はもはや共有できないことも事実です。いる場所が違うのだから当然です。

中にいる人達にはそれぞれ色々な思いがあるにしても、変わらない流れをこれからも保ち続けて欲しいというのが願いです。

ま、そんな偉そうなことを言える先輩では全くないのだけど(苦笑)

みなさま、昨日はお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。次がある人は次に向けて頑張ってください。

分化と自由

すべての人間(に限らないが)は一つの細胞に由来します。

その一つの細胞は分裂を繰り返し、胚盤胞期の内細胞塊は胚性幹細胞として外的な刺激により、理論上はあらゆる組織へと分化することができます。

分化する、とは簡単に言えば特定の働きをもつ状態へ変化することであり、多くの場合は不可逆です。最終的な分化の先には死が待つだけです。

人間も同様で、生まれた時には未分化な状態で、理論上はどんな人間にもなり得ります。そして外的な刺激によって成長し、特定の働きを持つようになります。次第に未来における自由度は減少し、最後は死にます。

細胞の一生の集合体が人間の一生であるとはいえ、細胞と人間は違うので、もちろん厳密に対応するワケではありません(細かいことは突っ込むなという意味)。

医学部に進学した時点でかなり「分化」してしまったのではありますが、そろそろもう一段階分化しなくてはならない時期です。

研修病院を選ぶのもある意味では分化でしたが食道の基底層が傍基底層になるくらいです(?)。

困ったことに、この段階における分化は試験を受けるでもなく、逆らい難い何かに命令されるわけでもなく自由です。

多くの弱い人間は、自由を使いこなすことよりも自由を権力に預けて支配されることを望みます。もっとも幸福な政体とは「きわめてすぐれた君主による独裁」と誰かも言っていました。

「大審問官」や、かつて東側諸国から西側へ脱出した人達が言うように自由とはなければ求めるもので、手に入れると耐え難いもののようです。ボクも同様です。

「医局に入る」ということは「自由を権力に預けて分化する」というと大げさでしょうか。医局にかつてほどの権力はありませんが。

なんというか、この段階の分化における自由が最後の自由のような気がします。耐え難いものなのに失うのはイヤ。それゆえダラダラと避け続けてきたのでしょう。

別に幼若化して化生する…つまり再出発して別方向に向かうのはいつでも自由なんだけどエネルギーの要ることです。


…相っ当大げさに書きましたが、実際は特に深刻にも考えず、来年の四月から札幌医科大学の病理学第一講座の大学院に行くことになりました。

同じ医師には何かの役に立つ可能性はありますが、それ以外の人には直接は何の役にも立たない穀潰しとなることでしょう。申し訳ありません。

まだ、死を持つばかりの分化段階ではないですが、造血幹細胞に置き換えたら確実にCD34は陰性になる気がします(?)

ニンジンの対義語

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小生思うにトマトではないかと。

幼少の頃よりトマトは好きでした。今でも大好きです。おもな食べ方は生食です。

何もかけなくとも、ソースをかけても、マヨネーズをかけても美味しいです。オリーブオイルと塩とバジル(できればタマネギも)が最近の流行です。砂糖をかけるという人もいますがボクはかけません。

近年はトマトをスープやパスタに使うことを憶えました。

そして、こないだイタリア料理の本を買いました。読んでいるだけで楽しいです。プッタネスカ、ニョッキのミートソース和え、海の幸のパスタ、ミネストローネ。いずれもトマトを使用しました。

トマトが好きすぎて、前世はイタリア人の可能性を疑います。そういえばこれまでの海外旅行は全て(と言っても3回だけど)イタリアが入っています。

上記写真。盛りつけは相変わらずセンスが感じられませんが、味は悪くありませんでした。ワインが飲みたくなりました。ワインを美味しく飲むための料理、が最終目標です。

ちゃんと仕事してるのか、って?

千と千尋の神隠し

当直がまもなく終わります。

「千と千尋の神隠し」が見たいから頼むから21時から23時半までは患者来ないで~と祈っていたのに。

不安定狭心症とか来るから殆ど見られなかったぁぁ(涙)

予備校生の頃に映画館で見ましたが、当時も今も好きです。最近(といっても8年前だけど)の中ではベストです。

ところで、「千尋」は名前を奪われることで支配されます。

ゲド戦記では万物の「まことの名」を唱えることにより魔法をかけます。

中国(少なくとも三国時代)では本名は親や目上の人だけが呼ぶもので通常は「あざな(字)」が用いられました。

また親の名前の一字をもらうとかはありえないことで、親の名前に含まれる字は生涯使うことすら許されなかったのだとか。

日本でも直接名前を呼ぶのは失礼とされ「かしこきあたり」「お内裏様」など天皇の呼び方は建物の名前を用いたりしてぼかされたていました。

また、「名を聞く」という行為は求婚に等しく、それに答えるということは「オーケー」という意味でもありました。万葉集のはじめの歌がそうでした。

籠もよみ籠持ち  
ふくしもよみぶくし持ち  
おの丘に菜摘ます兒  
家聞かな「名告らさね」  
そらみつやまとの國はおしなべて 
吾こそをれしきなべて吾こそませ
告らめ家をも名をも

どうも名前とは魂が宿るものなのかもしれません。世界中で名前というものは大切にされているようですね。

名前の文化人類学とか興味あるけど…そんな学問ないのかな?

…とにかく読めない当て字のお子様の名前は困ります。


よーし。終わったぁ。当直明けですが水泳部の正式新歓へと旅立ちます。

道道139号線/江別奈井江線の使用経験とその有用性の考察

要約
砂川IC⇔江別ICの側副路として道道139号線/江別奈井江線の使用を経験したので、ほかのルートと比較を交え、その有用性と問題点について検討した。

背景
 北見から札幌へ行く際に多くの人は国道39号を旭川方面へと向かい「上川層雲峡」より旭川紋別道(国道450号)へと接続するというのが定石である(近年、北見峠をトンネルで省略する方法も発達しているがここでは述べない)。そこからは道央道を使用し札幌へ行くルート、主に国道12号を使用するルート、あるいは国道275号を使用する方法の3つに大別される。後二者は通行料金がかからない利点と引き換えに渋滞や、低速車への追い越し禁止のイライラが問題となっている。今回、筆者は高速道路を使用しないで旭川と札幌を行き来する方法のうち特に砂川IC⇔江別ICの側副路として道道139号線/江別奈井江線の使用を経験したので、若干の考察を交えて報告する。

対象と方法
乗員:1名(26歳男性、普通自動車第一種運転免許)
車種:フォルクスワーゲン ポロ 2006年型
ナビゲーションシステム:搭載なし
ETC:搭載なし
方法:上川層雲峡と奈井江砂川IC間は道央道使用し、一部国道12号を経て道道139号/江別奈井江線を使用した。地図を携帯していなかったので青看板の表示、太陽の位置、石狩川の流れをもとに走行した。

結果
 上川層雲峡と奈井江砂川IC間の高速料金は2150円であり、札幌IC間まで使用した3600円と比較して約4割の節約となった。時間的には高速道路を使用した場合の北見⇔札幌間の時間と比較して1時間程度の延長であったと見込まれる。

考察
 「時間をとる」か「金額をとる」かという問題は時と場合、また個人の価値観による差異があり確定的なことはいえない。しかし、高速道路のみを運転した場合、高速に感覚が慣れてさらにスピードを出し始めるポイントとして、また一般国道のみを運転してイライラが募り始めるポイントとして砂川付近というのは分岐点と言える。今回の使用経験にて通行量が少なく、かつ道路整備の状態からスピードもある程度までに抑制できる道道139号/江別奈井江線の使用は有意義との印象を得た。
 問題点としては道路整備の問題で高速走行時はかなり揺れ、稀にジャンプの危険を伴うことや看板の案内に乏しく起点から終点まで道道139号/江別奈井江線を外れないことが困難であるという点が挙げられる。実際に筆者も初回走行時は誤って国道275号に出てしまった。2度目は完走したが夜間かつ雨天であり、異常に急峻なカーブが多く照明に乏しい本道路を走行するのは心細かったということは特記に値する。
 以上より晴れた昼に、特に急いでいないのであれば本道道を使用することはほかのルートの欠点をカバーするとの結論を得た。
 文献的には道道139号/江別奈井江線を愛用するドライバーがこれまでにも報告されている。興味のある方は「r139愛好会(^^;」と検索されたい。印象が筆者と似通っていた。

結語 
 ETCを搭載していると土日は高速料金が1000円となる事実に対して筆者の車には搭載していないことが今回の最大の問題点と言える。今後の搭載を検討したいが、道道139号/江別奈井江線もまた使用したい。